シャッフル主任の進捗報告

興味のあるものを作ります。進捗を不定期にご報告します。

そうだ、教祖になろう。創世記 第1章1節 コンセプトを考える

迷える子羊の群れ


私たちは満たされない日々を送っています。

21世紀の今日において、人類は飢餓や疫病を克服しつつあり、世界規模の戦争もこの数十年発生していません。
にもかかわらず、私たちはいつも悩んでいます。
豊さゆえに体型を気にし、長く健康であるがゆえに若さを渇望し、他人への劣等感に苛まれています。

1世紀前と比べて格段に飛躍した科学技術は多大な恩恵を人間に与えてくれましたが、いかに生きるべきかを示してはくれませんでした。
大幅に拡大した自由の中、どちらに進めばいいのか私たちの心は失敗におびえています。
私たちには今こそ心の拠りどころが必要なのではないでしょうか。
それはかつて信仰とよばれたものです。

神は死んだ。私たちが殺したのだ。


現代社会において信仰は撤退戦を余儀なくされています。

ビッグバンが宇宙を作ったのだという仮説はいまだ実証されていないものの、原初の水から誕生したアトゥム神が世界を創造したとするエジプト神話よりは多くの人々の支持を得ています。
「宗教」と聞けば、カルト教団による事件や勧誘をめぐるトラブルを思い起こし、怪しい犯罪集団のように感じる人も少なくないでしょう。

かつての信仰はもっと身近で自然なものでした。
村の神社に豊作を祈願したり、お地蔵様にお備えをしたりする心情は何も特別ではなく日々の生活の一部であったはずです。

私たちは新しいエクササイズを始めるような気持ちで信仰に接してもいいはずです。

回転木馬は止まらない


輪廻転生という言葉があります。

ヒンドゥー教や仏教において死んだ魂が別の何かに生まれ変わるという考え方です。
小学生のころ放課後に「前世は何だと思う?」とか「死んだら何に生まれ変わりたい?」と言っていたあれです。

あの話をするときは決まって、前世は自分が生まれる前に生きていた何か、来世は自分が死んだ後に生まれる何か、と考えてはいなかったでしょうか。
私たちは一方通行に流れる時間の中で生きているためにそう考えてしまいますが、それではつじつまの合わないことがあります。
14世紀に世界で1億人が亡くなったペストの大流行では、地球のどこかで同じ数の新生児が生まれたりはしませんでした。
また、2億5000万年前に起こった地球規模の火山活動では動植物の90%以上が命を落としましたが、死の直後に生まれ変わりがあるならこのようなことも起こらないはずです。
それとも魂は一旦天国にある倉庫に保管され、Amazonのピックアップロボットよろしく誰かがオンデマンドでプライム会員にお届けするのでしょうか。
そもそも、生物が発生する35億年より前はどうだったのでしょう。
世界人口は2050年に97億人を超えるそうですが、魂の倉庫に在庫切れはないのでしょうか。

おそらく生きている私たちに真実はわかりませんし、科学は人間の身体のどこに魂が存在するのかすら結論づけられてはいません。
その代わり、こう考えてはどうでしょうか。

生まれ変わりは過去にも未来にも可能だと。

私の来世は17世紀の侍かもしれませんし、そのまた来世は西暦3000年の昆虫かもしれません。
そのまた来世はティラノサウルスでもいいですし、そのまた来世はこれを読んでいるあなたでもいいでしょう。

このような仕組みが成り立っていると仮定すると、最低限必要な魂の数はいくつでしょうか。
たったひとつです。
たったひとつの魂がすべての生きものを順番に生かしていると考えてみましょう。
まるで音楽プレーヤーのシャッフル再生モードのように。
これなら大きな倉庫も忙しく動き回るロボットも必要ないわけです。

そしてここからが本当に大事なところです。
嫌なヤツっていますよね。
みんなから嫌われている先生。あなたにだけ意地悪な上司。朝電車でぶつかってきたアイツ。
彼らもあなたと同じ魂を持っている。何億世、何兆世前のあなたである。

そう考えると、少しだけ人にやさしくなれませんか。